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財政構造改革や行政改革が叫ばれる昨今、公共事業のあり方に様々な批判が集中している。国家の国債発行残高が250兆円を超えていると言われる中、税金の使い道に厳しい目が向けられるのは当然であり、ある意味で健全な姿になってきたと言える。ただ、そういった批判のほとんどがすでに行われてしまった事業ばかりに向けられていて、未来に向けた建設的な提言が少ないのが気にかかる。
先月1日(編注:1997/10/1)、北陸新幹線の高崎−長野間(通称長野行新幹線)が開業した。この中に安中榛名という駅があるが、この駅の存在がマスコミによって集中的に批判された。人里離れた山の中の、およそ周囲に何もない所に忽然と存在する巨大建造物が、テレビに何度となく映し出された。新幹線の駅の中で乗降客数が最も少ないとか、1日に停車する列車が片道9本しかないとか、開業初日に販売された通勤定期が20人程度にすぎなかったとか、そういうことがおもしろおかしく伝えられた。
たしかにこのような駅に何百億円もの巨費が投じられる是非は分かれようが、すでに出来てしまったものを「無駄だ、無駄だ」と叫んでみても、あまりに遅きに失するという印象をぬぐいきれない。批判をするならこのようなものが出来上がる前にしなければ遅すぎる。
日本では情報公開の制度が整っておらず、また市民オンブズマンのような制度もまだまだ未発達である。よって、マスコミが問題提起しなければ国民が気がつかないという現在の構造は仕方がないのかもしれない。しかし、国民の側の政治・政策に対する意識が希薄であるのも事実であり、情報公開などの制度面の不備だけがあながち問題とは言い切れないであろう。
長野行新幹線に関しては、並行する在来線のうち横川−軽井沢間が廃止されたことに対して、地域住民が廃止手続きの取り消しを求める行政訴訟を起こした。これなどは地域の問題に対して住民が積極的に意見を表明するという点では好ましいことだが、訴訟が提起されたのが新幹線開業直前の1ヶ月前というのはいかがなものか。先ほどの安中榛名駅にしろ、在来線の廃止にしろ、もう何年も前に政治決着している周知の事実である。それを今頃になって訴訟を提起しても、既成事実が積み重なった現状では挽回は難しいだろう。
この事例は我々に重要な示唆を与えてくれる。いくら情報公開や市民オンブズマンのような国民側のチェックシステムを確立しても、国民の政治意識が希薄では機能しないのである。
(檜山正樹)
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Last modified: 2008/9/27
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