第1部 通学交通の特徴


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第1章 (3)つくば市の事例

ここでは平山の出身校である「茗渓学園中学校高等学校」を例に私立学校の通学の実態をみていく。

1. 学校概要

茗渓学園は茨城県つくば市南部に位置する私立中高一貫校である。 東京教育大のOB会である「茗渓会」によって設立された学校で、 旧東京教育大が茨城県に移転して筑波大となったことを機に1979(昭和54)年に開校した学校である。

クラブ活動・校舎・委員会などのほとんどの学校活動では中学高校が完全に一体となっていて、高校生は4年〜6年生と呼ばれる。 イギリスのパブリックスクールを参考に作られた学校のため(校技がラグビーであるのはそのためである)、 付属寮における集団生活の教育にも力を入れている。 通学生も含めて2年に1回1週間は短期入寮することになっているが、寮生自体は120人程度とそれほど多くない。

現在の生徒数は1学年あたり200人強で、合計すると約1400人程度となっている。

2. 通学の状況

生徒の5割程度がスクールバスによって最寄りJR駅であるひたち野うしく駅もしくは荒川沖駅を利用している。 そのうち柏・取手などの上り方面と土浦・石岡など下り方面の比率は7:3。 ほか2割は守谷・水海道・伊奈方面の中距離スクールバスを利用している。

つくば市内からの通学生は大半が自転車利用である。 かつては2割程度が付属寮在籍だったが現在では1割にもみたない。

3. スクールバスの変遷

A. 〜関東鉄道(関鉄)時代〜 ひたち野うしく駅開業まで

1979年の学校新設当時、つくば市は現在ほど都市化されておらず、 研究学園都市整備がようやくこれからスタートしようという時期であった。

つくば市のバスは一部JRバス関東が運行するほかは関鉄の営業エリアである。 荒川沖駅〜つくばセンターには2系統のバスが設定され、東大通経由と西大通り経由が設定されている。 このうち遠回りのほうである西大通り経由の便が茗渓学園前を通過していた。 1時間に1本程度のこの路線バスでは通学需要はまかなえないため、学校は関鉄に同路線のスクールバス設定を要請し、 学校設立時から運行が開始された。

このスクールバスは一般路線バスの増発便のような形で運行された。 学校と駅の間はノンストップである。 朝に6本、帰宅時に5本設定されたが、帰宅時(16:15〜17:00)には45分のダイヤの穴ができることもであった。 約20年間の間に多少の増発はなされたが、それでも10往復程度と基本的な本数は増加せずに、ダイヤの穴も解消されなかった。 最大定員40〜70人乗りと車両サイズが統一されていないので混雑率にも激しい変動があり、 最近の東京の電車では滅多に見られない混雑率300%の混雑も珍しくなかった。

また、朝に常磐線の列車到着が遅れてもそれを待たずにダイヤどおりに出発してしまう有様だった。 一般の路線バスと共通運用することによる弊害ではあったが、 通学生を運びきるというスクールバスの基本機能が果たせていなかったことを意味する。

このような状況から生徒からスクールバスへの不満が高まり、関鉄運転手とのトラブルも頻繁に発生し、 両者の関係は悪化の一途をたどった。 むろんスクールバスの委託をしているのは学校側であり、バスに関する不満は学校に向けられるべきものである。 スクールバス改善へ真剣に対応しなかった学校に責任があったといえる。

B. 〜中距離スクールバス〜

茗渓学園ではJR駅連絡のほかに、水海道・守谷などの茨城県南地域に中距離のスクールバスを設定している。 トラック事業者である十和運送へ運行を委託している。

十和運送は茨城県守谷市を拠点として茨城県内・成田空港輸送を中心に関東一円をカバーする事業者で、 トラック事業者としては中堅クラスの事業者である。 トラック部門のほか、特定旅客運送部門も実施している。 企業・学校と契約し、通勤・通学対応の専用バスを運行する事業である。 茗渓学園ではこの十和運送と特定旅客運送契約をしている。

守谷・水海道方面、伊奈方面、戸頭(取手市)方面、下館方面、石下方面の5方面に1日2往復のバスを運行している。 これらの方面は常磐線地域から遠い地域をカバーしている。 距離は最長で20km程度である。 運賃は並行する関鉄バスの運賃を基準にして設定されていて、多少高めではあるが、 水海道などの地域では関東鉄道・JRと鉄道を使うよりもはるかに安くて便利なため、通学生の評判はよい。

利用の少ない北行き(下館・石毛)はマイクロバスが、利用の多い南方面は観光バスタイプのハイデッカーが利用されている。 多種類の車両が投入されているのは部活動・課外活動・研修旅行などの際に流用しやすいからである。

こうした中距離スクールバスは茨城県内のライバル私立校では当たり前になっている。 私立中高校の新設が相次ぎ競争が激化する中、アクセスの整備が生徒確保への大きなポイントとなっているのである。 常磐高速を利用したスクールバスはいまだに登場してはいないが、 今後高速道上にバスストップが整備されれば茨城県内で高速バス通学が定着する日もそう遠くないかもしれない。

C. 〜十和運送時代〜 ひたち野うしく駅輸送

1997年3月、1985年の科学万博の際に使用された臨時駅の万博中央駅を復活して新駅ひたち野うしく駅が牛久〜荒川沖間に誕生した。 そこで学校側は新駅直通のスクールバス新設を計画。 関鉄への委託も検討されたが、守谷・水海道方面バスの委託で関係のあった十和運送への委託を決めた。 

近隣の常総学園が(株)常総学園バスを設立し通学輸送を強化する中で、 生徒獲得競争の観点からして茗渓学園だけが車両状態が低レベル(多くの車両が中古車で経年30年のバスも在籍) である関鉄委託では見劣りするという判断がたぶんにあったと思われる。

97年4月からひたち野うしく駅〜茗渓学園間の専用バス運行が開始された。 車両は三菱ふそうの一般路線バス型の新車5台が投入され、専用塗装となった。 車庫は路線の中間に新設され、駅・学校双方に10分以内に到達可能で発車要請があればすぐに対応できる体制がとられた。 本数は2倍に増加し、朝の時間帯の積み残しも無くなった。 帰宅時には30分毎+ピーク時増発の体制となり無ダイヤとはいかないが覚えやすいダイヤとなった。 運転手は総勢8人の交代制であり、生徒が一人一人の顔を知っていることもあり、運転手との間のトラブルも少なくなった。 (従来の荒川沖駅便も存続されたが大幅な便数減少となっていて、荒川沖駅周辺居住者専用といった感じである。)

十和運送体制の整備により、学校行事などの際の臨時運行でも柔軟なダイヤが取れるようになった。 生徒会がバスダイヤの変更を求めれば、学校事務室を通してではあるが次年度にはすぐに要望が反映されるようになった。

なおひたち野うしく駅誕生の際には駅・学校間で5km程度しか離れていないので 自転車通学を要望する生徒が当初はJR利用者の2割ほどいた。 しかし、雨天時にバス利用者が急激に増加しても対応できなくなること、 利用者が減ることによってバスの本数が減ることを懸念して学校では駅からの自転車利用を全面禁止した。

問題が無いわけではなかった。 ひたち野うしく駅開業の際には徒歩圏内の西大通りにつくばセンター行きのバスが新設されたが、 そちらの運行は関鉄・JRなので別の経営主体となり定期券での路線バス利用が不可能になった。 休日の学校への登校の際には往復740円の負担を強いられる事態が一時期続いたが、 十和運送の休日4往復のバス新設によってその問題も改善に近づきつつある。

4. まとめ

茗渓のスクールバスの変遷からいえることは、 通学アクセスというものが「運ぶ」輸送から「乗ってもらう」サービスへと転換しつつあることである。 本格的な少子化時代を迎えてこうした傾向はさらに強まってくるであろう。

十和運送のように特定輸送でノウハウを蓄積した事業者が全国には数多く存在する。 そうした事業者が独自のアイディアで交通産業活性化の起爆剤となるような、新たな輸送サービスを起こしてくれることを期待したい。


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Last modified:2008/9/23

一橋大学鉄道研究会 ikkyotekken@yahoo.co.jp