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これまで述べてきたように鉄道路線の営業規模を縮小・廃止せざるを得ないのは、 需要量が採算ラインを大きく下回っているという点に起因している。
そもそも鉄道を引いたのは旅客や貨物の需要があったためであるが、周辺地域の人口や都市部との地理的関係などから、 もともとそれほどの需要が見込めない地域では鉄道事業だけで採算をとるのは難しいし、 一鉄道事業者だけで需要を喚起しようとするのも難しい問題である。
1960年代前半は高度経済成長の真っただ中にあって、地方の人口は大都市に吸収され、 大都市の発展の裏側で地方の過疎の問題が浮上してきた時期である。
鉄道の収益率を見ても、国内の2極分化が読み取れる。 表2-2-1からわかるように、大都市を管轄する陸運局内の収支率は、一様に改善しているのに対して、地方の陸運局では悪化している。 たとえば仙台陸運局は78から90に大きく上昇している。 つまり、地方の私鉄の収益率は、1960年代を通して急速に悪化していったことがわかる。 都市と地方の格差は拡大していったのである。
昭和35年度 | 昭和41年度 | |
札幌陸運局 | 82 | 85 |
仙台陸運局 | 78 | 90 |
新潟陸運局 | 88 | 99 |
東京陸運局 | 75 | 66 |
名古屋陸運局 | 84 | 83 |
大阪陸運局 | 80 | 76 |
広島陸運局 | 83 | 87 |
高松陸運局 | 80 | 93 |
福岡陸運局 | 84 | 84 |
表2-2-1 償却前営業収支率 (「私鉄統計年報」各年度版より作成)
ここで東北地方の私鉄にスポットを当ててみよう。 東北地方の私鉄は、戦後の復興期にすでに収益率が悪化し、 戦時中の酷使に対する修繕も進まないうちにモータリゼーションの波に飲み込まれ、 低収益下での鉄道再建のための大規模投資も不可能ということで、バスに置き換えられていった。
そもそも鉄道を敷いたのは人々が沿線地域を離れる前である。はたして当時は黒字だったのだろうか。
図2-2-2は2000(平成12)年11月現在営業を続けている東北地方の私鉄のうち、 津軽鉄道・弘南鉄道・十和田観光電鉄(以上青森県)・小坂製錬(秋田県)・くりはら田園鉄道(宮城県) の5社の鉄道事業部門に注目した営業損益の時系列グラフである。 なお小坂製錬は1994(平成6)年9月をもって旅客営業を廃止し、現在は貨物に特化した輸送を行っている。
これらは1960(昭和35)年度以降のデータなので開業当時の営業成績を知ることはできないが、 損益データを推し量ってみると開業当初は基本的に黒字だったと言えそうである。 また、各社とも1975(昭和50)年度に一気に赤字に転落しているのが興味深い。 この背景には、地域人口の減少や産業の衰退が関係しているものと考えられる。
終戦直後、疎開者がまだ都会に戻れずにいて、さらに海外に移住していた人々が日本に引き揚げてきた時には、 地方の農村に人が集中し「人口が飽和状態」の村もあった。 そしてそれが村の最大の課題であって、「次三男問題」としてその就労が心配されていたが、 その矢先に勃発した朝鮮戦争で一気に軍需産業が復興したため、日本の工業地帯は大きく始動し、 産業予備軍と言われていた村の次三男は都市の工業地帯へと輩出されていった。 さらに、1960年代に入ると、いわゆる「金の卵」となって村を去る人が激増し、工業への労働力吸収が大きく村々を揺るがすようになった。
加えて「国民所得倍増計画」が打ち出されると、女性も工業振興・貿易拡大の担い手となって、 工業地帯へ地滑り的に吸収されて村を出ていった。 このような状況の中で、もはや安定した生活を期待できない山村部では世帯家族全員で村を離れる「挙家離村」も見受けられるようになった。
農業収入だけでは生活を維持しにくくなると、出稼ぎや兼業によって所得を補うケースが増え、 近年では農外所得が農業所得を上回る農家が農家全体の半数以上を占めるようになった。 このように農業の魅力が薄れてしまった状況下で、若年労働者は次々と都市へ流出していった。 さらに、じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃんの3人に支えられた農業、いわゆる「三ちゃん農業」が農村人口の高齢化を物語るように、 1950年代後半からの高度経済成長がもたらした過疎の問題は今もなお色濃く残っている。
敗戦直後の1946(昭和21)年に政府は、石炭・鉄鋼・化学工業などに資源を重点的に配分することで日本経済の拡大再生産を図ろうとした。 これが傾斜生産方式とよばれるものである。
その昔、石炭は「黒いダイヤ」とよばれるほど重宝がられていた。 高度経済成長でエネルギー需要が拡大する中、最盛期の1961(昭和36)年には大小600の炭鉱が5540万トンを出炭していたが、 現在、国内では北海道の太平洋炭礦などわずかな企業が操業を続けるのみとなった。
国内の石炭産業がここまで縮小してしまった理由は、海外炭とのコスト競争に敗れたことに尽きる。 エネルギー転換で石炭から石油へ消費の矛先が向けられたと思われがちだが、むしろ石炭の消費は増加の一途をたどっている。 埋蔵量に不安の残る石油に比べて、石炭は安定供給という点で見直されているのである。
しかしながら、石炭の需要はあるといっても安い海外の石炭にはかなわない。 そのためにコストのかかる国内での採鉱は規模が縮小していった。 かつて炭鉱で栄えた町も鉄道も閉山によって多くが姿を消していったのである。
石炭に限らず鉱石全般で考えてみても、鉱山の閉山による鉄道への影響は大きい。 宮城県の栗原電鉄は三菱金属鉱業(現在の三菱マテリアル)の経営する細倉鉱山の鉱石輸送を重要な顧客としていたが、 1987(昭和62)年に細倉鉱山が閉山し、これに加えて沿線の過疎化、マイカーの普及などにより路線存続の危機に見舞われた。 同鉄道は事態を危惧した沿線自治体の手により、徹底した合理化を施した第三セクター「くりはら田園鉄道」として再出発を果たしている。
このように採鉱拠点の海外移転といった鉱業における構造変化は、それまで鉱石輸送を担ってきた鉄道にも大きな影響が及んでいる。
地方の鉄道貨物事業の経営悪化の要因の1つに、産業のサイクルの途切れによるものがある。 たとえば1962(昭和37)年に開業した青森県の南部縦貫鉄道は、 沿線で産する砂鉄をむつ小川原開発の経営するむつ製鉄へ輸送する路線として期待が持たれていたが、 路線開業早々のむつ製鉄の破綻によりこの砂鉄輸送は頓挫し、 以来、沿線の細々とした旅客と物資の輸送で食いつながざるを得ないという現実に直面した。 結局、同鉄道は1997(平成9)年5月をもって営業休止に入っている。
他の要因としては輸送手段間での競争が挙げられる。 鉄道貨物輸送における競争は、おもにトラックおよび内航海運との間で行われている。 とくに同じ中距離輸送に特色を出している内航海運との競争が、国内全体でみた場合にトラックとの競争よりも激しい。 しかし地方の限られた範囲でみると、トラックとの競争が激しい。 ここに高度経済成長期以降のモータリゼーションの影響が出てくる。 積替えの必要のないトラック輸送が鉄道輸送を代替する形で発展してきたのである。
また、貨物輸送の過程の中でも問題点が存在する。 鉄道貨物輸送はそれだけで輸送サービスが完結する場合が少なく、荷役作業が必要である。 しかし、現状では荷役作業は多くを人手に頼っている状態にあり、人件費がふくらむ要因となっている。 この荷役作業を機械化して効率化を図ることで、ひとつの合理化が達成されるだろう。
地方の旅客輸送における鉄道離れは、マイカーの普及によるところが大きい。
表2-2-5を見ると各社とも輸送人員が大幅に減少しているが、沿線人口自体はほとんど変化がなく、むしろ増加している路線もある。 年代から見て人口減少も一段落したためだと考えられるが、 それなのに輸送人員がこれほどまで減少しているのはマイカーの普及によるクルマ社会へのシフトが大きな要因だろう。
沿線人口(人) | 輸送人員(千人) | |||||
昭和50年 | 平成2年 | 比率(%) | 昭和50年 | 平成2年 | 比率(%) | |
津軽鉄道 | 77,514 | 72,705 | 93.8 | 2,553 | 577 | 22.6 |
弘南鉄道 | 254,015 | 262,525 | 103.3 | 7,745 | 5,193 | 67.0 |
十和田観光電鉄 | 101,902 | 112,868 | 110.8 | 1,465 | 966 | 65.9 |
小坂製錬 | 83,706 | 76,230 | 91.1 | 1,238 | 84 | 6.8 |
くりはら田園鉄道 | 55,654 | 50,764 | 91.2 | 957 | 342 | 35.7 |
表2-2-5 沿線人口と輸送統計
(「国勢調査」「鉄道統計年報」より作成)
*比率は昭和50年の値に対する平成2年の値の割合
これまで見てきたのはあくまで東北地方の複数の鉄道であるが、 全国的に見ても、ただでさえ運転本数が少なくあまり利便性が良いとは言えない地方の鉄道は、 人口減少やマイカー普及により需要が低下すると通常は採算を維持するために運賃の値上げや運転本数の削減せざるを得なくなる。 こうなると利用する側は不便が増し、沿線住民はマイカーを利用した生活から抜け出せなくなる。 すると、さらなる運賃の値上げや運転本数の削減を迫られ、鉄道離れに歯止めが効かなくなってしまうのである。 そしていつの間にか通学輸送が中心の形態になるケースが多いのではないだろうか。
地方での鉄道の需要を喚起する何か良い方法はないのだろうか。
たとえば駅前に大規模小売店を誘致したり、もしくは事業者自らが経営することで周辺住民の足を向けさせ、 その際に買い物の行き帰りの足として派生的に鉄道の需要を創出させようとする方策が考えられる。 しかし、大都市のようにターミナル駅に自社の百貨店を設けるような場合には効果があるだろうが、これが地方となるとうまく行かないのである。 地元の商店の反発もあるだろうし、大型ショッピングセンターの出店となれば、実際その立地は車利用に適した場所が選ばれる。 現に郊外店に客足を奪われ、駅前の空洞化が問題になっている地方都市もある。 図2-2-6からもわかるように鉄道一辺倒の時代は過ぎ、流れはクルマ社会へと完全にシフトしていったのである。
もはや鉄道事業者だけに経営改善を求めるには限界がある。 しかし、あえて「住民の足」として路線を存続させたいのならば、地域が一体となって問題に取り組まなければならない。
自治体・民間共同出資の第三セクターという形で鉄道を存続させる例が全国で数多く見られるが、 これは本当に「住民の足」として「鉄道」という交通機関が必要とされているからだろうか。 鉄道が走っているという地域ステータスのためだけに路線存続を求めていることはないだろうか。 輸送という需要がなければ事業として成り立たなくなってしまう。 そもそも鉄道があることによって恩恵をこうむるのは地域でありその住民である。 問題解決への模索は、事業者だけでなく地域も一体となって取り組む必要がある。 そしてさらにマクロな視点に立てば、日本の地域格差という構造的問題から議論しなければならないだろう。
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Last modified:2008/9/23
一橋大学鉄道研究会 ikkyotekken@yahoo.co.jp